日本仏教の独自性を著者は次のように記している。
・日本語訳のお経を持っていない
日本のお経はみな漢訳のままであること。菩提にしても、菩薩にしても、サンスクリット 語の音写である。言葉の意味がわからずに、ただ感じの音と字面だけに頼ってきた日本人の仏教理解には危うさが伴っている(P97)
・経典を取捨選択している
仏教の膨大な経典の中の一つのお経を選び、その中に記されている修行の中から一つを選んでそれに専念している
・仏教徒としての意識は希薄で、宗派意識のほうが強い
・戒律と僧伽がない
そもそも仏教は、ブッダの教えを記した「経蔵」と、出家者が守らなければならない戒律を集めた「律蔵」、それらの注釈書である「論蔵」から構成されている。しかし、日本の仏教は「経蔵」が取捨選択されているうえに、戒律がない。
戒律を守るため、出家者は僧院での集団生活を営むものだが(僧伽)、守るべき戒律がないので(笑)、集団生活を営む必要もなく、家庭生活を送っているのが、日本の僧侶である。
・一般仏教徒に仏教徒としての自覚がない
キリスト教にしてもイスラム教にしても、日本以外の仏教にしてもそうだけど、「わたしはこれを信仰しよう」という選択があって、その宗教の教えを守るわけなんだけど、日本人の場合、成り行きで(笑)、死ぬ時はお経上げてもらって、戒名もらって、お墓に入るのよねー。
・お墓があるのは仏教国では日本だけ。回忌法要を行うのも日本だけである
「回忌法要は、先祖崇拝という背景から生まれた日本仏教特有のもので、仏教本来のものでない」(P117)
仏教の考え方には科学的な面でも大いに共通する面があるっていうことで、ダライ・ラマ法王が欧米の著名な科学者との対話を繰り返しているっていうような話もあって、
仏教それ自体は21世紀でも通用するぐらい深い思想であるはずなのに、どうも日本仏教はそれについていけてない感じがする。
仏教と日本仏教: serenoな日々 (via yellowblog)(via nosouth)